東京地方裁判所 平成2年(ワ)15747号 判決 1991年10月08日
原告
角田松廣
右訴訟代理人弁護士
齋藤祐一
被告
角田容子
主文
被告は原告に対し別紙物件目録記載一の建物を明渡せ。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
[請求の趣旨]
主文同旨の判決並びに仮執行の宣言
[請求の趣旨に対する答弁]
原告の請求を棄却する。
第二 当事者の主張
[請求原因]
一 別紙物件目録記載一の建物(以下「本件建物」という。)は原告の所有である。
二 被告は、昭和三八年五月六日原告の長男角田弘文(以下「弘文」という。)と婚姻し、そのころ弘文と共に本件建物に居住を始めた。その後、右夫婦は、裕美(昭和三九年二月一三日生)、真由美(昭和四二年二月一四日生)及び清美(昭和四四年三月二日生)の三女をもうけた。
三 弘文と被告とは昭和五九年九月一四日次の条件で協議離婚し、弘文は本件建物を出て別の場所で生活するようになった。
1 弘文は被告に対し別紙物件目録記載二の不動産(以下「八幡山の土地、建物」という。)を財産分与する。
2 離婚後も被告が原告方に同居することを認めるが、被告は原告及びその妻しかと仲良く生活することとし、原告夫婦との折合いを欠くに至った場合は別居する。
四 その後、被告は本件建物において原告夫婦及び三人の娘と同居生活をして来たが、被告は事あるごとに対立して争いごとを繰り返し、暴言を吐き、ある時は八四歳にもなる原告に殴りかからんばかりの行為をするにもかかわらず、一切の生活の面倒を原告夫婦にみてもらい、食事の世話すら原告夫婦任せの状態である。
このように被告は原告夫婦との折合いを欠いていたところ、平成元年一二月一二日八幡山の土地、建物について財産分与を原因として弘文から被告への所有権移転登記手続をし、離婚の際の約束である財産分与を受けた。
五 右事実によれば、原告ら家族と被告との間の信頼関係は回復できないまでに破壊されており、原告と被告との間の親族的つながりはもはやなく、相互の扶養的相互扶助の関係も絶たれており、しかも被告は弘文から財産分与を受けたのであるから、被告は本件建物を無権原で居住占有している状態となっている。
六 仮に、原、被告間に本件建物について使用貸借関係があったとしても、被告は本件建物についての使用収益を終了しているので、原告は被告に対し平成二年一二月二七日送達された本件訴状をもって右使用貸借契約を解除する旨の意思表示をした。
七 よって、原告は被告に対し、主位的に所有権に基づき、予備的に使用貸借契約の終了に基づき、本件建物の明渡しを求める。
[請求原因に対する答弁]
一 請求原因一は認める。
二 同二は認める。
三 同三のうち、弘文と被告とが1及び2の条件で離婚したことは認める。
四 同四は争う。
五 同五のうち、八幡山の土地、建物について原告主張の登記手続がされたことは認める。
六 同六は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因一及び二は当事者間に争いがない。
二同三のうち、弘文と原告とが1及び2の条件で離婚したことは当事者間に争いがない。
三右争いのない事実と<書証番号略>、証人角田弘文の証言、原、被告各本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。
弘文と被告とは結婚後、弘文の父である原告の所有する本件建物に原告夫婦と同居していたが、被告と原告夫婦との折合いはあまりよくなかった。また弘文と被告との間も性格の相違等から円満を欠くようになり、弘文は前田裕美と親密になり、同人が弘文の子を懐妊したのをきっかけに、一緒に生活するため弘文は昭和五九年九月二日に家を出た。その際、弘文は手紙を置いて行き、被告に対し永い間の苦労に報いるため八幡山の土地、建物を譲るから何とか納得して離婚届に捺印して欲しいと申し出た。被告は、協議離婚に積極的に応ずる気持ちはなかったが、原告から勤務先の小学校の校長に見せるだけであるなどと言われたこともあって、離婚届用紙に署名押印してこれを弘文に渡したところ、同年九月一四日右届出が受理され、また同月一八日弘文と前田裕美との婚姻の届出がされた。被告は現在離婚自体を争う意志はない。
弘文の姉節子の夫である明圓昭二、妹日出子の夫である西田邦夫及び妹利子の夫である松浦弘並びに弘文と被告の婚姻時の媒酌人であった甘利朔、同文子らは、弘文と被告の離婚に当たって種々協議した結果、同年九月二〇日付で、弘文に対しては、信頼を裏切られたとして今後兄姉妹の交際をしない旨、三人の子の養育費を負担すること、被告の両親(在長野)に対し自ら謝りに行くことなど要求する旨、一方、被告に対しては、弘文と被告の離婚及び弘文と前田裕美との結婚を容認することはできない旨、被告が心を入れかえて原告夫婦によく仕え子供達を育てて行くのであれば、被告が原告方に同居することに同意する旨を、いずれも文書で明らかにした。他方、被告は、右同日付で、今回のことで自分の至らなかったことがよくわかった旨、今後心を改めて原告夫婦に一生大切に仕え子供達を育てて行くので一緒に暮らさせてほしい旨、また原告夫婦始め兄妹らから見て一年後になっても被告の態度が改まっていないと認められたときは本件建物を出る旨を、念書に記載して署名捺印し、これに立会人として前記甘利両名が署名捺印した。そして、原告夫婦は、右同日付で、これから被告が心を入れかえて家庭を大切にしてくれるなら一緒に暮らすことに同意する旨を念書に記載し署名捺印した。
その後昭和六〇年三月一八日、弘文と被告とは、親族の者の勧めにしたがって公証役場に出頭し、弘文は現在の状態に関しては原因・動機はともかくとして被告と子女に詫びるものとし、また昭和五九年九月以来親族・仲人らに多大な迷惑をかけかつ心配をかけたことについて深く陳謝の意を表明すること、被告は弘文の今回の行動に関しては弘文の責任のみならず被告自身にも責任あることを認め、今後反省すべきところは反省しかつ改めるべきところは改めるよう努力すること、弘文は三年を目処として被告と子女、両親と再び生活ができるように努力すること、弘文は未成年の子(真由美及び清美)の養育費を支払うこと、被告は弘文が被告及び家族のもとに戻る日まで子女を愛情をもって養育しかつ弘文の両親に対し誠心誠意尽くし面倒を見つつ家を守って行くこと等を互いに約束し、その旨の公正証書が作成された。
以上のように認められる。
右事実によると、弘文と被告の離婚に当たって、弘文は被告に対し財産分与として八幡山の土地、建物を与えることを約束して離婚後の被告の生活の資について配慮したこと、原告夫婦と弘文の姉妹の夫婦及び媒酌人は、弘文の側に非があるとの共通の認識の下に、同人に対し反省を求め、三年後には同人が戻って来ることを期待する一方、被告に対しても、責任の一端を認めさせ、弘文が戻って来るまでの間娘たちを養育しかつ原告夫婦に誠意をもって尽くし家を守って行くことを期待し、そのような前提で被告が引続き原告方に一緒に住むことを認めたこと、そして、被告も期待に応えて、心を入れ換え誠意をもって原告夫婦を遇し、一年後にその態度が改まっていないと認められた場合には原告方を出て行くことを約束したことが明らかである。すなわち、被告は、八幡山の土地、建物につき財産分与を受けたが、直ちに同所に転居することはせず、三年を目処として弘文が戻って来ることを期待し、関係者の了解を得て、原告夫婦と円満に生活すること及び一年を経過した後に原告夫婦との折合いを欠くに至った場合は別居することを約束し、これを前提として原告は被告を無償で本件建物に同居させることを約束したものである。そして、被告が原告夫婦と円満に生活しその折合いを欠くに至った場合は別居するとの約束は、前記の事実関係の下では合理性があるものとしてその効力を肯定することができる。
このような合意に基づく本件建物の使用関係は、親族間における同居と同様の実体を有するものであり、原、被告各本人尋問の結果によると被告は主として二階部分を生活の本拠としているが、本件建物全部を自分だけで占有しているわけでなく、原告夫婦と共同で使用していることが認められるから、被告が単独で本件建物全体を使用収益することを目的として使用貸借契約が成立したと認めることはできないが、無償の使用関係として使用貸借に準じた規律を受けるものと解するのが相当である。
四<書証番号略>、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、被告は僅かなことで原告夫婦に反発し、本件建物の屋敷内の使用方法について原告と話をせず独断でするとか、物置の中を乱雑にしたり、庭に物を置き放しにするなどのことがあり、それを注意すると、怒ったり原告を突き飛ばしたりなどすること、被告は仕事をもっているが、ほとんど生活費を入れず、食事の支度は原告の妻に任せ、原告夫婦ないし娘たちと食事を共にすることもほとんどないこと、このようなことから、原告はもはや被告と円満に同居することはできず、本件建物から出て行ってもらいたいと強く希望していること、被告の娘らも被告が別居することが望ましいと考えていることが認められる。右認定に反する被告本人尋問の結果は採用することができず、また<書証番号略>は、被告本人尋問の結果によると被告が娘三人の氏名を記載したものであることが認められるから、その成立の真正を肯認することができず、したがって右認定の妨げとなるものではない。
また、<書証番号略>及び被告本人尋問の結果によると、八幡山の土地については、前記の約束に従って、平成元年一二月一二日受付をもって昭和六〇年九月一四日財産分与を原因として弘文から被告に対し所有権移転登記がされており(財産分与を原因とする所有権移転登記がされていることは争いがない。)、また八幡山の建物については建替え中であったものを被告の費用で完成し、平成二年四月一七日受付をもって被告名義に所有権保存登記がされたことが認められる。したがって、弘文が被告に約束した財産分与はすべて実行されたものであり、被告としては原告所有の本件建物に同居しなくても自活するための居住環境は整ったということができる。
なお、昭和五九年九月二〇日から昭和六〇年三月一八日にかけて弘文、被告、原告夫婦、弘文の姉妹の夫婦、媒酌人らが互いに書面を交わしあるいは公正証書を作成して、三年を目処として弘文が戻って来ることを期待し、それを前提として原告が本件建物に同居することを認め、かつ一年経過後に被告が原告夫婦と折合いを欠くに至ったときは被告は別居することを約束したことは、さきに認定したとおりであり、右の期間はいずれも経過していることが明らかである。そして、証人角田弘文の証言及び弁論の全趣旨によると、弘文は現在の妻裕美との婚姻を解消して被告の下に戻り本件建物に同居するという意志はないことが認められる。
そうすると、遅くとも本件口頭弁論終結時までには、原告が本件建物に被告を同居させることを認めた前提はすべて失われたことになり、被告は前記約束に基づき本件建物を明渡すべきこととなったといわなければならない。使用貸借契約は、契約に定めた目的に従った使用収益を終わったときは終了すべきものであるから、この点からしても、被告はもはや本件建物を使用して占有すべき権原を有しなくなったものということができる。
五右のとおりであるから、被告に対し所有権に基づき本件建物の明渡しを求める原告の請求は理由がある。
よって、原告の請求を認容し、仮執行の宣言については相当でないからこれを付さないこととし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官新村正人)
別紙物件目録<省略>